さとりきねしブログ

当サロンは、キネシオロジーによる多層多次元の身体への癒やしを提供します。

「人生は死ぬまでの暇潰し」が真理だと思ったら、安全を求めすぎ

 春分の日は強敵でした。家族問題が噴出して、我が家は春の嵐に。

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暇と退屈の倫理学


 暇すぎてエネルギー接収対象がない場合や、何かに接しても情報も感情も摂取できない場合、「退屈」という感情が働きます。この退屈が常態化してしまう(=何をしたらいいのか分からない)というのはあまり良い状態とは言えません。エゴは拡大か縮小しているときは絶対に退屈を感じません。つまり、成長も退化もしていない悪い停滞をしてしまっています。知らないことを知らない(=分かったふりをしている)、新しい知識も冒険もない人生に飽きてしまうとエゴは腐って嫌な臭いを発します。「安全」を重視しすぎるとだいたい腐ります。


 さて、全ての存在(情報や感情、人やモノなど)には常に真実度(コーザル体レベルのエネルギー)が裏打ちされています。それによりそれぞれが認識する世界に違いが生まれ、宇宙に不確定要素というかゆらぎのようなものが発生します。

 

 メンタル体は優しくエゴに安全な情報を特に好みます。しかし、多くの場合それはコーザル体レベルのエネルギーが薄い、狭くローカルな流行や常識に過ぎません。もしくは妄想と同じです。

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「つまらない」がなくなる本

 

テーマ「退屈」(コーザル体、メンタル体、5左の領域、6左の領域)

 前回の生まれ変わりの村の「スープに対する渇望」の生きている時バージョンと言った感じです。

 

 成長が幼い場合、コーザル体ではなくメンタル体が調整の中心になることがあります。

 

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