さとりきねしブログ

当サロンは、キネシオロジーによる多層多次元の身体への癒やしを提供します。

「不死」を治す

 無限の本質、P151から。

 

 人間はいずれ死ぬ存在だ。呪術師たちは固く信じている。われわれの世界と、そこでわれわれがすることとを理解する唯一の方法は、自分たちが死にゆく存在であることを完全に受け入れることだ、とな。これを根本的に受けいれないかぎり、われわれの生活も、行為も、そしてわれわれが住んでいる世界も、いっこうに手に負えるものとはならん。しかし、ただ受け入れるだけでは目的を達成したことにはならん。受け入れたことを行動で示し、それを守り通さねばならんのだ。どの時代の呪術師も、自分の死についての考えこそが、このよでもっとも真摯な考えなのだと言っている。

 

 われわれ人間の過ちは、しかも太古以来ずっとつづいてきた過ちは、多くの言葉で語られることはなかったが、自分たちが不死の領域に歩み行ったと信じていることだ。われわれは、決して死ぬことがないようにふるまっている。子供じみた傲慢というほかない。だが、この不死の感覚よりもさらに有害なのは、それと一緒に生じるもの、すなわち、この想像を絶する宇宙をわれわれの精神で包含できるという感覚なのだ。

 

 機械は、人間が避けられない約束を直視するのに手を貸すことはできん。その約束とは、無限との約束のことだ。

 

テーマ「不死を治す」(コーザル体、メンタル体、肉体、5右の領域、5左の領域、6右の領域、6左の領域)

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 若い頃に葉隠を読んだこともありますしメメント・モリも知っていますが、当時はどう考えればいいかわからずじまい。「非情」や「果敢ない」といったあり方の基礎に在るのが、自分の死だと。これ、重要なのでヒーリングの最初のチェックリストに入れます。

 

 「全てを理解できる」「宇宙の全てを征服できる」という人類の幼い万能感は、死なない人間の無限に対する間違った表現なのです。無限に時間が在るから価値のないつまらないことばかりに力を注ぎ、死ぬ間際に後悔するのでしょう。

 

 このテーマ、退屈と修正方法が似ています。「不死者」の軽いものとして「退屈」が在るというのは非常に興味深いです。

 

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