> OSHOは マントラは マインドが眠りこけてしまう技法なので
> お勧めしないと話しています 祈りの言葉も唱えているだけ
> だと その罠にはまる可能性をはらんでいるように思います
>
> 月闇さんはその点について何かお考えはありますか?
さとりきねし的な観点からお返事を。以前調べた1000スケールのエネルギー量の数値です。
878 ガーヤトリー・マントラ
693 シャンティー・マントラ
1001 虚空蔵求聞持法
1000 世界平和の祈り
1000 瞑想
1000 慈悲の冥想
999 「オンシュダシュダ」(善無畏三蔵のマントラ)
999 他人のために祈る
998 「助けて」
998 黙祷(手を合わせない)
1000 ひふみ祓詞
935 あわの歌
742 神祥詞
1000 OM (宇宙ができたときの音) ← New!
スケール1000で見た時にマントラや坐禅和讃などは、エネルギー量が少ないのが原因かと思われます。エネルギー量990未満の祈りはOSHOの言う「マインドが眠りこけてしまう(=催眠にかかりやすい)」という問題を含んでいるようです。
これはまだ仮説なのですが、肉体~アーラヤ体まではあくまで二元性を持つ身体であって、その核となる990~1000、10次元の上部に実存を受け取る何かがあるようなのです。990未満の祈りだと、その部分にエネルギーが入らないと推測しています。
> 瞑想にしろ お祈りにしろ 昔は儀式に伴う作法も細かい事がありました
> 慈悲や世界平和、 またその他の祈りを行うに際して 今更ですが
> 気をつける点は有りますか?
最近、私が祈りで気をつけている点は一つ。
「自分の中の柱(頭頂の少し後ろ)に祈る」
ことです。EO師の頭頂留意の場所(茶碗が乗る部分)ですね。もしイメージがしにくいなら、頭の中心(松果体あたり)に意識を持ってくれば良いかも。
例えば、神社や仏閣などの外側、特に目の前に祈るとエネルギーが前に流れていってしまいます。しかし、自分を一つの柱としてそこに対して祈るとエネルギー量が明らかに高まると感じています。
(その代わり謎の疲労もスゴイ。意志や意識の力がえらく消費される感触。)
儀式や作法はかなり問題ありと見ています。宗教は陰始とどうやっても繋がりが強く、複雑な儀式や煩い作法ほどそこにつながってしまうことが多いようです。最近、特にそれを感じます。(×は紐付き)
799 ×黙祷(合掌、手を合わせる)
778 ×黙祷(お辞儀をする)
399 ×黙祷(手を組む)
199 ×柏手を打つ ← New
ということで、3行でまとめると
「エネルギーの強い祈りを」
「自分の中心に向かって」
「シンプルに祈る」
でしょうか。意が乗る先は、自分なのです。
ps.祈りのコツは自然の音のように響かせることだそうです、雨の音とか風の音のように。
ps.求聞持法について
> 1001と数値にありましたが、もっと高い印象です。
別の方からの指摘です。1001~でしょうかね。11次元を越えてしまうともう宇宙の管轄が違うようで、それ以上の数値は意味がないような感触です。ギリギリこの世界との接点、といった感じで。