汚れと穢れの違いは何かと調べていたら、「意志のバロメーター」が出来上がりました。何故、我々人間は生き汚いのか。潔い人生とは何か。
腹を決める
1 敬う 2 腹を決める
3 禊ぐ 4 記憶する
5 思い出す 6 省みる
7 ゆるぎない 8 自主的な
嘘をつく
1 無知蒙昧 2 穢れた
3 汚い 4 嘘をつく
5 分からない 6 言い訳する
7 怠ける 8 惰性の
「腹を決める」と「嘘をつく」が対義語に成っています。意志のレベルになると感情というより、行動そのものに成っています。禊ぎと穢れ、記憶と嘘、自主的なものと惰性的なものが対応しています。
敬うことは分かることで、腹が決まります。
禊ぐことができると(余計なものを落とすと)、ありのまま記憶することができます。
それは思い出すことができ、何も知らないゆえに良心に従い省みることができます。
それはゆるぎなさをもたらし、自主的自発的になります。
腹を決めることは、受け入れることであり喜びに満ちた感情であり調和と同調であって、ありがたいものです。
無知蒙昧という不敬は貧しさであり、穢れてくだらないものです。
その汚さは特別さをもたらし、嘘をつかせます。
分からないから恥を知らず、言い訳をします。
怠けるので、惰性的になります。
嘘をつくことは、反感と敵意と麻痺であり、苦いものです。
こう見ると、この世界から貧しさや盗みや嘘、言い訳、怠けることがなくならないのは、人の意志の堕落が原因といい切ってよさそうです。
「嘘つきは泥棒の始まり」ということわざは順序が間違いで、「盗むことがすなわち嘘を付くこと」が正式な定義になります。また、嘘つきが何故記憶と違うことを平気で言えるのか、という不思議さがありましたが、嘘をつくと記憶ができなくなる、という意志のシステムが見えてきます。
不敬(無知蒙昧)という穢れを持っていると、どんどんダメ人間に成っていくのが分かります。そして、自分の人生が堕落していくのも。古来の日本人はそれを理解していて禊ぎを行ったのでしょう。こんな腹を決めた生き方が我々にはできるでしょうか。