さとりきねしブログ

当サロンは、キネシオロジーによる多層多次元の身体への癒やしを提供します。

民主主義が終わる日

 最近、「選ばれる」ということについて、よく考えています。

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 「意志」に対してやってはいけないことが2つあります。一つは、意志を放棄すること(=選べない)。もう一つは、他の意志を支配することです。実は、どちらも意志に対する尊厳の話で、自分の意志を尊重するから「選ぶ」のであり、他人の意思を尊重するから支配しないのです。

 

  独裁主義と民主主義のどちらがよりベターか、なんて問いをしたことが一度はあると思います。独裁主義は特定の継続した支配があり、民衆の意志を抑圧するから良くないとわかりやすいです。まぁ、大陸的でエル・ランティ派閥的な風習ではあり、上手く回ることもなくもなく。

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 じゃあ、海洋的でプレアデス派閥的な民主主義はどうかというと「選挙」があります。これが、クセモノというか控えめに言って大問題。「選ぶ」には大原則がもう一つあって「人」を選んではいけないのです、人ではなく「行動」を選ばなくてはいけない。

 

 そして、「選ばれた」というのは人を無力にします。「神に選ばれた民」などは、自分の意志を放棄した結果に起こる意志の逆流現象で、精神病の一種です。そして、そのエネルギーの総和を支配者がしばしば乱用します。

 

 意志の原則を踏まえると、選挙では人が人を選ぶために2つの悪が発生します。

1.立候補者は、「選ばれる」という選べない無力な立場に自分を置いてしまう。

2.投票者は、人を選ぶことで自分の「行動を選ぶ権利」をその人に全託してしまう。

 

 これを考えついた人間は相当の巨悪です。人間の行動を選ぶ権利を、人を選ぶ権利にすり替えて、支配という体制を整えたからです。

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 「有史以来、どのような政治体制でも必ず責任者(=支配者)がいた」と歴史家は指摘しています。しかし、アセンションする地球には支配者は残りません。21世紀には「自分たちの行動を決める」投票しか必要とされないのです。

 

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