日本語の「我(われ)」は「これそれあれ」と同じジャンルにあります。この使い分けは一般的には私との距離と言われますが、実際はその存在の有り様を示しています。
self
「これ」は、肉体とエーテル体レベルのものを指します。
「それ」は、アストラル体とメンタル体レベルのものを指します。
「あれ」は、コーザル体とコスモス体レベルのものを指します。
もう少し具体的に説明。「これ」は具体的な物体やその気を指しています。「それ」は思考上で成り立っています。その人とかそのリンゴという場合、思考や感情が働いているのがわかるでしょうか?「あれ」の場合、その存在を指します。
この宇宙=物理的な宇宙
その宇宙=思考や感情で捉えた宇宙
あの宇宙=存在で捉えた宇宙(存在より高次なものも含む)
そして、「われ」は5次元の小ダマが指定している範囲を指します。「わ」が「輪」と同じ意味で、タロットの0番「愚者」が世界の一部を丸く囲んだ部分をイメージしてもらえると。わは「和」にも繋がり、意識体としての最低限の統一を持っている一つの調和を意味します。
わの宇宙=我
悟り人は私という概念が外れる(虚偽だと見抜く)ため、わの宇宙とあの宇宙が一致して「私は在る」に到達するのです。以前「わ」一文字でいいのでは?と書きましたが、こう考えると「我れ在る」が正しい訳になります。
「我」はその最低限の自分だけを指し、「私」は我が所有するものを意味します。わがままなんて言葉が残っていますね。
本当は免疫について語りたかったのに、免疫の前提の「私」だけで一回分のブログになってしまいました。次回に続く。