ドン・ファン系列の魔導士(呪術師)は、地球史上でも稀に見る覚醒を果たした。
カルマも理解もすっ飛ばして、とにかくエネルギーをため込んで別の世界に脱出。現実世界に隠されている秘密のエネルギーを見つけ、現象界において生身のままで自由と叡智と力を獲得し、さらに力を蓄えたものはこの地上界からさらなる自由を求めて旅立った。
知者は学ぶという辛苦に真に従ってきた者。あせりもためらいもせず、できる限り深く力と知の秘密を探る者のこと。
学ぶということは人が背負える最も困難な仕事なのだから、会話を通しての学習などはむだであるばかりか愚かなこと。人が学ぶことを始める時は常につらい努力をしなければならず、したがってその人の学習の限界はその人自身の性格で決まる。
プロトコル「知者への道」
盟友とはその人を助け、忠告し、また大小善悪にかかわらず彼の行為に必要な力を与えるために、その人の生活にもちこめるような力。生活を高め、行ないを導き、知を深めるために必要。実際、盟友は知には不可欠の補助である。人が誰も啓発できないものをお前に見せ、理解させてくれる人間をそいつ自身を超えた所へ運ぶ力。
意図「盟友を持つ」
彼は少しずつ学び始める-最初はほんの少しずつだ、それからたくさん学ぶようになる。そして彼の考えがすぐにくずれちまうんだ。彼の学ぶことは頭に描いたことも想像したこともないことなんだ。だから彼は恐れはじめる。学ぶということは思ってもみなかったことなのさ。学ぶことのステップひとつひとつが新しい苦労なんだ。だから体験する恐怖も無慈悲にがんとしてつのりはじめる。彼の意志は戦場になるんだ。
こうして彼は第一の自然の敵に出会うんだ、それが恐怖だ!恐ろしく、油断もすきもない、打ち負かすことのむずかしい敵だ。あらゆる曲がり角で、うろつき、待って隠れているんだ。もし人がそれと面と向かって恐れて逃げ出したら、彼の探求に終止符がうたれるのさ。
もし恐れて逃げ出したら、二度と学ばなくなる以外には何も起こらん。二度と知者にはなれんだろう。たぶんあばれ者とか無害な俗物になるだろうよ。
恐怖に打ち勝つには、逃げないことだ。恐怖なぞものともせずにつぎのステップへ進むんだ。それからつぎ、つぎへとな。きっと恐怖でいっぱいになるに違いない、だが止まってはいかんのだ。これがルールだ。そうすれば、第一の敵が引き下がる時が来る。人は自分自身に確信を感ずるようになる。彼の意志はさらに強くなる。この素晴らしい瞬間がくれば、人はためらうことなく、おれは第一の自然の敵を打ち負かしたと言えるんだ。
一度恐怖を打ち消したら、もう一生それからは解放される。恐怖のかわりに明晰さを手にするからだ。恐怖を消す心の明晰さをな。その頃までには自分の望みがわかるし、どうすればそれが満たされるかもわかる、学ぶべき新しいステップも予測できるし、あらゆるもののまわりを鋭い明晰さが囲むんだ。
意図「第一の敵『恐怖』に打ち勝つ」
そこで、第二の敵に出会うこととになる。明晰さだ!心の明晰さだ。盲目的にしてしまう。それは自分自身を疑うことを決してさせなくする。
何事もはっきりと見ちまうから、自分のしたいことは何でもできるという確信を持たせるのさ。彼は明晰だから勇敢だし、何事の前にも止まることがない。だがこれはすべてまちがいだ。彼は本当は完全ではないのだ。もしこの確信させる力に従えば、そいつは第二の敵に敗北し、学ぶことに失敗するだろう。辛抱強くあるべき時にあせり、急ぐべきときにのんびりしちまうだろう。そして、それ以上何も学べないような結果になるまで手探りするだろうよ。
そういうふうに負けた奴は、ただ知者になることを冷たく止めるだけさ。そのかわり、そいつは楽天的な戦士とか道化になるだろう。しかし彼がそれだけ深く払った明晰さが暗闇とか恐怖にまたかわることは絶対にない。一生明晰だろう、だが二度と学んだり何かを望むことはあるまい。
恐怖を負かした時にしたことをするんだ。つまり明晰さを無視して見るためにだけそれを使い、じっと待って新しいステップに入る前に注意深く考える。特に自分の明晰さはほとんどまちがいだと思わねばならん。そうすれば、自分の明晰さが目の前の一点にしかすぎないということを理解するときがくる。こうして第二の敵を打ち負かすんだ。そうして何物も二度と彼を傷つけない所へ着くわけだ。これはまちがいじゃないぞ。それは単なる目の前の一点じゃない。本当の力だ。
意図「第ニの敵『明晰さ』を打ち負かす」
この時彼は、長い間求めてきた力がやっと自分のものになったことを知るんだ。それを使ってしたいことができる。彼の盟友は意のままだ。彼の望みがルールになる。自分を取り巻くものすべてが見えるんだ。だが、そこで第三の敵にぶつかる、力だ!
力はすべての敵のうちでも1番強い。だから当然一番簡単なのは戦いをやめることさ。そうすれば、そいつは本当に無敵になるんだ。奴は支配する。つまり計画した冒険をすることから始めてルールを作ることで終わるんだ。かれは支配者だからな。この段階にいる者は、第三の敵が自分に近づいていることなどほとんど気づかないんだ、そして突然、何も知らずに戦いに敗れるんだ、敵はそいつを無慈悲な気まぐれ者にしちまうのさ。
力に負かされた者はそれをどう扱うか知らずに死んでゆくんだ。力は彼の運命にのしかかるおにもつにすぎん、そういう奴は自分自身を支配できないし、いつどうやって自分の力を使うかわからんのだ。
どうすれば第三の敵に勝てるか、それをうまく無視することだ。てっきり負かしたと思っている力は、実は決して自分のものじゃないことを悟らねばいかん。もし自分自身をコントロールすることのない明晰さや力が失敗より悪いことだということがわかれば、あらゆるものが抑制されている点に到達するんだ。そのとき、自分の力をどう使えばいいかわかるだろう、こうやって第三の敵を打ち負かすんだ。
意図「第三の敵『力』を無視する」
その頃には学ぶことの最終段階にきている。そして何の警告もなく最後の敵にぶつかるんだ。老年だ!これは四つのうちで最も残酷な敵だ。完全に打ち勝つこともできずにただ戦うのみだ。
この時こそ一切の恐怖も心のせっかちな明晰さもなくなる時なんだ。あらゆる自分の力はチェックされ、同時に休息への望みを強く持つ時でもある。横になって、忘れようとする望みのために完全に戦いをやめたり、疲労のために自分をなだめたりしたら、最後の一ラウンドを失うことになっちまう。敵はそいつを弱々しい年老いた生き物にまで落としちまうだろうよ。引退したいという望みは明晰さ、力、知をすべて無効にしちまうんだ。
だが、その疲労を脱ぎ去ってずっと自分の運命を生き抜けば、仮に最後の無敵の敵に打ち勝ったほんの少しの間だけにせよ、その時知者と呼ばれるんだ。明晰さ、力、知のその瞬間で十分なんだ。
意図「第四の敵『老い』とただ戦う」