極論を言ってしまうと、エゴに基づいた発言は必ず何かが間違っていて、エゴがない状態、もしくは、エゴが完全になくなった「覚者」の言葉には嘘偽りがないため、基準に出来ます。
というわけで、覚者「ニサルガダッタ・マハラジ」の新刊が出ました。
彼はずば抜けて頭がよく、否定しても否定しても否定しても否定しても、それでもなお残ったものは何か?というプロセスで、この世界の虚構を見抜き、真我に達しました。
「I Amness」を「私は在る」と訳していますが、私が思うに「わ」一文字のほうが適切ではないかと。日本語では「わ」は私、我など、私が在ることを指すので、日本人には「わ」一文字のほうが感覚的に理解されやすいかと思うのです。(追記。古代日本のこと、倭国(わこく)というのと同じ理由。)
それはさておき、この対話内容からさとりきねしに組み込めないか、精読してみます。