多重人格をテーマで作って以降、数例臨床が積み上がってきたのですが、思いがけない発見がありました。
satorikinesi.hatenablog.jp 解離性同一症、いわゆる、多重人格では問題が起きるケースが多いように思います。重度のケースだと犯罪者になったり、良くても人生がうまく行かなくなったり。
シンプルに考えた場合、単純に人格が7つ混ざっただけなら問題が起きないこともありえるはずです。全人格が優しいとか、全部ぼんくら昼行灯とか、無害な人間になる可能性があってもおかしくないです。そして、7つとも人格者であっても良いはず。でも、そういうケースがまずありません。
エホバが自分の勢力(支配下)の魂のエネルギーを増すために、他のところから6種類の集合魂をパイトロンで混ぜたサラダボウル的な存在が多重人格だとさとりきねしでは見ています。で、その集合魂の一つに「恐竜人間」が混ざっている模様。(もしくは、それに近い存在。)
4-F.「恐竜人間」
恐竜人間。恐竜の生命能力と人間の持つ「情動」という形質を持つ。地球の進化系が全て邪悪に染まる可能性があった。この時代は人類にとって恐怖そのもの。極限まで追い詰められる。恐竜、蛇に対して根源の恐怖として染み込む。
「邪悪さ」が時空のひずみを拡大させる。人間のDNAに対しても致命的なミス。廃棄。地獄界のループに閉じ込める。邪悪な思念に凝り固まったその魂は隔離しているとは言え、地上に影響がないとはいえない。進化分岐遺伝子がどんな触媒でも発動しない。根源から隔たってしまったことからくる寂寥感、神から見捨てられたと思ってしまう拗ねたような寂しさ。
エホバが恐竜人間の集合魂を取り込んだのはそのエネルギーの強さからだと思うのですが、邪悪さや冷酷さの性質が強くて、多重人格者がこの特質で問題を起こすケースが多いようです。本人、及びに社会との不調和の原因になります。
現在数名が人格統合後の「情」の解放に注力中で、これが「非情」に昇華できるかは神のみぞ知るといったところでしょうか。
h-57.情とは
人間が各感覚器官を通じて受け取るものにより発露される印象・・これを感情という(実は感情は思考でもある)。その感情は、肉体のほんのちょっと上位にある器官により発露される。その感情がもっと魂に近い上位の器官にまで通じると、「情」として機能する。つまり、情は割合高度な印象・インパクトを持つが、同時に下位(肉体界)の波動も持っている。故に、諸刃の剣の性質をもつ。
今の進化段階の人間にとって必要な道具ではあるが、最終的に覚醒には邪魔なものになる。また、今の人類にとって情は、本当の愛を知らないゆえに愛の代替品として機能している。
h-58.情は二元性の形質
「情」という形質の本質は、その中に二元性を持つ。感情への執着と、それが実現しなかったとき、裏切られたときに発現する「冷酷さ」という相反する情動を有する。執着とそれが実現しない裏の形質として冷酷さがある。冷酷さは別の言い方をすると、情をかけて裏切られたときに発動する。
s-14.非情
非情性を有せずに完全覚醒することは出来ない。覚醒の途上で道を誤る、とんでもないことになる。仏陀は「慈悲」という在り様でこの宇宙におけるセオリー破壊を行なっている。
s-15.覚悟
非情への気づき。
・常に死を見つめる、明日死ぬかもしれないという前提での決断。
・何が起こるかわからない。
・すべてを捨て去ること。
s-16.死ぬ覚悟を意識して、待つ
ドン・ファン「待つということを知り、何を待つのか」ということを知る人はほとんどいない。今、死ぬ覚悟をしてしまえば、何も恐いものなどなくなる。覚悟というのは付け焼刃ではなく、普段から何事においても意識していないと、いざという時に稼働しない。地球が破滅しようがどうしようが、死ぬのはあなた一人だけ、それ以外にない。他の方たちはまた他の方たちの死がそれぞれあるが、それはあなたとは関係ない。
待つということを知るということは、安穏と待つということではなく、何を待っているか知っていて、強迫観念なしに嬉々としてやるべきことをやり、再び来るであろうその時を待てばいい。そうすれば、自ずとどうすればいいかがわかる。
u-44.本当の「慈悲」
本当に非情の人は、本当の「慈悲」を持つ人。逆に、本当に冷酷に無慈悲になれる人は情が深い人。だから、人類は戦争を繰り返し、残忍な行為をいまだに繰り返している。戦士の生き方と慈悲は全く違う概念のようですが、実はそこに流れる「非情さ」というベースでつながっている。
仏陀は久遠の時を超えて存在していました。その慈悲は愛が悠久の時を超えて育まれたものです。