さとりきねしブログ

当サロンは、キネシオロジーによる多層多次元の身体への癒やしを提供します。

「怖い」と「危ない」は違う

> 自分のヒーリングで度々出てくるものの一つに「恐怖」がありますけど、恐怖に悩まされる生活から抜け出したいと思っています。ただ、ドン・ファンの知者への道には分からない点があるので、質問させてください。

 

 しばしば、人が認識を間違うものに、「怖い」と「危ない」の違いを混同する、というのがあります。

 

 「怖い」というのは、恐怖の気持ちが湧き上がるだけで危険がありません。命が失われるとか、大怪我をする、財産を失うみたいなことが、まず起きないです。

 

 「危ない」というのは、すぐに何かを失う可能性が高いです。命や大怪我してもおかしくないのです。なので、危ないことはする必要がないです。

 

 「親元から離れるのが怖い」という方の場合、これは、怖いでしょうか?危ないでしょうか?親元から離れると生活費とかの問題が起きることはありますが、即死することはありません。なので「怖い」で合っています。

 

 「トラックの前の飛び出す武田鉄矢」は怖いでしょうか?危ないでしょうか?死ぬ危険があるので「危ない」ですね。

 

 3歳の子供を道路で監視せずに遊ばせるのは?暗闇の中を歩くのは?警察に捕まることは、怖いのか危ないのか?こういう切り分けが、非常に大切になります。

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 では、「怖い」って何なんでしょうか?それは、自分の限界だったり、膜だったりします。自分の世界を包む膜です。松村潔氏はこれを「タロットの0」と表現しています。

 

そして、さらに宇宙は無限ではなかった。限界点があったのだ。
そしてそのことを知っている異次元の生物たちがいた。
私を変えたきっかけの一つは彼らだった。

彼らは進化の極限に行った。
空間的にも探索し、意識旅行して次元的にもなにもかもやりつくした。
そして、次の宇宙の謎へ旅立とうとしたとき、現実があらわになったのだ。
その先に何もなかったのだ。
完全な無の領域に遭遇した。
たとえどんなに大きくても
我々が宇宙の内部をうろついていたことに気がついた。
そしてもう先に何もない。彼らは帰れなくなった。
もうこの宇宙に関心がない。興味など持てない。彼らは路頭に迷った。
その先どうすればいいのか全く分からなくなった。
そして彼らは終わった。無の中へ消え去った。

しかし、ここに宇宙最大の悲劇が起きた。
消えることも出来ず、かといって宇宙に戻ることもできない、
踏ん切りのつかない意識として、
死ぬことも生きることも出来ない、
中間の知性体がその境界線に幽閉されてしまった。
彼らの本質とはこうなのだ。
つまり全面的『恐怖だけ』の意識だ。
そしてそれはなんと永遠の恐怖だ。尽きることがない。
終わらない。逃げられない。
何億年も恐怖だけしている。彼らの恐怖はすさまじい。
なぜならそれは無の中へ死ぬことの恐怖に加えて
生きる恐怖でもある。
死ぬのもいや、生きるのもいや。というわけだ。どっちも恐れる。

どっちも拒否している。だから彼らには行き場がない。
その純粋な恐怖の意識としてそこにとどまり続けている。
完全に時間は止まっている。成長もなにもない。
意味もなくただ苦しみ続ける。だが、彼らを宇宙は放置する。

それは、この宇宙を守るためだ。
境界線を超えようとすると彼らが立ち塞がる。
別に彼らは何もしない。ただその先に何があるかを暗示している。
そうしてその恐怖で宇宙の人々は宇宙の内部に戻る。
そうして宇宙は存続している。
一方、無の領域が逆にこの宇宙に侵入するのも防いでいる。
逆に無から見れば、
存在宇宙は無意味で馬鹿みたいに見えるので近寄らない。

『彼ら宇宙の亡霊となった種族』は、
要するに無と存在の両方の立場を柔軟に行き来しているのではなく、
両方を拒否することによって双方の侵入を防いでいる。
つまり外側と内側の間の境界線の皮膜、盾なのだ。

EO「廃墟のブッダたち」

 

 ここまで大げさな話でなくても、個人や集合魂でも同じ現象が起きており、我々は常に恐怖に閉じ込められています。

 

 ここで、発想の転換です。怖いことは実際危なくないのです。怖いことをやり続けたら、どうなるでしょうか?結論でいうと、突破して世界が広がります。怖いことは何度もやることで、危なくないと実感できる瞬間が来るのです。

 

 感情の座(スリーインワンのバロメーター)では、「確信して」と「失う恐怖」が対義の感情になっています。

[確信して] / [失う恐怖]

1.やる気がある ⇔ 不満な
2.危険を冒す、立ち向かう ⇔ 聴いてもらえない
3.守られた ⇔ 悲痛な
4.大胆な ⇔ 失望した
5.勇気に満ちた ⇔ 脅かされた
6.真実に聞く ⇔ 見過ごされた
7.慈しんで ⇔ おびえた
8.誇らかな ⇔ 温かく迎えられない

 

  2.の「危険を冒す、立ち向かう」は恐怖に立ち向かうことを指し、大胆に、勇気に満ちて突破すれば、真実に聞くことができます。それは、慈しみがあり、誇らしいことです。

 

 なので、最初の質問から言うと、

・怖いと危ないを、見極めること。

・怖いことは危ないことではないので、積極的に立ち向かうこと。

でしょうか。

 

> また、「次のステップに進む」とはどういうことなのかを詳しく知りたいです。

 

 上記の特訓を繰り返し、恐怖に囚われなくなるとメンタル体が解放されるので、いわゆる「怖いもの」がなくなります。そのため、一時的に賢くなります。そこからも別の問題が発生するのですが、それはまた別の機会に。

 

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