さとりきねしブログ

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「一人で問題を抱えこまず、他人の力を借りて問題を解決すること」と「自分の責任を果たさず、他人に依存すること」の違い

 質問が来ました。他の方からも同様の質問あり。

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> ・「一人で問題を抱えこまず、他人の力を借りて問題を解決すること」と
> 「自分の責任を果たさず、他人に依存すること」の違いは何なのかを知りたい。どうしても混同してしまう。

 

 一般化出来ると出たので、情報を探ります。

 

3-16.「自意識過剰」
 コスモス体のエネルギーが「肉体、エーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体」のいずれかに注がれすぎた一時的な「存在過剰」です。執着の一種で物理的に重たくなります。そして、これが増長の正体でもあり、自己卑下でもあります。自意識過剰は「自分でなんでも出来る」という幼い万能感に由来し、(後略)

 

→「一人で問題を抱え込みすぎる」というのは、自意識過剰です。

 

2-3.「生命線を切る」

 エゴの根本は肉体の生存欲であり、肉体の維持に必要なものがどんどん増えていったのが現代社会です。

 

→「自分の責任を果たさず、他人に依存すること」は、他人を自分の生命線にしてしまうことみたいですね。その人がいないと自分が成り立たない、となってしまうのがマズイみたい。

 

 なので、その人が居なくてもできることはなにか、という部分を追求すればいいかと。

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 具体例で。海外に行く場合、船か飛行機に乗らないと出国できません。その海外に行くまでの準備(計画、お金、パスポート、手配など)が自力で、飛行機や船の操縦をするのは他力に預ける感じです。

 

 病院で例えるなら、お医者さんにしかできないことは任せるけど、それ以外は自分で出来ること、健康管理とかの選択と責任を自覚することでしょうか。

 

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 余談。「責任」は、積極的に選べば目的意識を持ち温かく迎えられますが、選べない場合、利用され虐待され乱用され混乱した恨みになり、受け入れがたい悲痛と罪の意識になり、なにか間違えている、という感情になります。

 

 責任は取るか取らないかではなく、責任を取る事ができるエネルギーがあるかないか、という側面が強いですね。

 

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