ファウスト(Faust, 1947)は,図形などをちらっと見たときにはそれが何であるか知覚できるのに,そのまま注視し続けると,すぐにそのパターンの全体的印象が消失し,わからなくなってしまうという失認症の症例を報告し,このような現象を"Gestaltzerfall"(ゲシュタルト崩壊)という用語を使って記述しました。
仏教で言う「見る」と「観る」は違うものです。このちらっと「見る」と知覚できますが、じっくり「観る」とエゴ(色眼鏡)が外れ、言語の秩序が消えます。そのため、特に漢字などでゲシュタルト崩壊が起きやすいのです。
身体レベルで解説すると、前者は肉体(目)で捉えメンタル体で知覚します。後者は、エーテル体で捉え正中線体の右側で知覚します。これは、呪術師が人間を光る繭と観るときの方法です。
観るのにはものすごいエネルギーを必要とします。伊藤若冲は庭にたくさんの鶏を飼い、一年以上観察して絵を描き始めました。
テーマ「ゲシュタルト崩壊」(メンタル体、正中線体(右)、5次元右の領域)
右の身体は左脳的な「意識、認識」を司る。
ゲシュタルト崩壊は自分が世界を宇宙を知った気になっているという制限された知覚の崩壊で、本当に観ることが出来たら「意味」なんてものは喪失するのです。そして、それはそんなに難しいことではありません。だって、赤ん坊時代はみんなそうして「観てた」のですから。