「マナ」というのは太平洋の島々で認識されていた概念の一つです。これは、ラリーニーヴンという作家が自らの作品の中で魔法の力として表現し、今のゲーム世界で広がっています。
マナについて、マオリの社会構造とも密接に結びついている超自然的な観念で、聖なる力、超自然的な特別な能力・資質・影響力・権威・威信などを総合した概念で、神々や人間、自然物や無生物に宿っていると書かれている。
青柳まちこ編著『ニュージーランドを知るための63章』
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これ、さとりきねしの「5次元の信用」とほぼ一致します。特に「影響力、権威、威信」あたり。
> 自然物や無生物に宿っている
動物をはじめ、樹木植物、山や川や海にも5次元の信用は満ちているのか?というのを腕でチェックすると、Yesとでますね。これらをきちんと受け取るキーワードは「畏敬」です。謙虚さがないと、信用は増えません。
日本人が持つ自然崇拝もこの一種と見ていいかと。
自然に対する収奪がどうしてカルマになるかというと、このマナ(信用)に対してのバランスシートが崩れるからです。地球に穴を開けて石油を掘ったり、山にトンネルを掘って高速道路を通したりするのは、それを行った集団へのカルマになります。自然を支配しているという傲慢(=畏敬のなさ)は、現代人のエゴのうち、手に負えないものの一つです。