さとりきねしブログ

当サロンは、キネシオロジーによる多層多次元の身体への癒やしを提供します。

ゲシュタルト崩壊

漢字のゲシュタルト崩壊現象とは何でしょうか?

ファウスト(Faust, 1947)は,図形などをちらっと見たときにはそれが何であるか知覚できるのに,そのまま注視し続けると,すぐにそのパターンの全体的印象が消失し,わからなくなってしまうという失認症の症例を報告し,このような現象を"Gestaltzerfall"(ゲシュタルト崩壊)という用語を使って記述しました。

 

 仏教で言う「見る」と「観る」は違うものです。このちらっと「見る」と知覚できますが、じっくり「観る」とエゴ(色眼鏡)が外れ、言語の秩序が消えます。そのため、特に漢字などでゲシュタルト崩壊が起きやすいのです。

 

 身体レベルで解説すると、前者は肉体(目)で捉えメンタル体で知覚します。後者は、エーテル体で捉え正中線体の右側で知覚します。これは、呪術師が人間を光る繭と観るときの方法です。

 

 観るのにはものすごいエネルギーを必要とします。伊藤若冲は庭にたくさんの鶏を飼い、一年以上観察して絵を描き始めました。

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テーマ「ゲシュタルト崩壊」(メンタル体、正中線体(右)、5次元右の領域)

右の身体は左脳的な「意識、認識」を司る。 

 

 ゲシュタルト崩壊は自分が世界を宇宙を知った気になっているという制限された知覚の崩壊で、本当に観ることが出来たら「意味」なんてものは喪失するのです。そして、それはそんなに難しいことではありません。だって、赤ん坊時代はみんなそうして「観てた」のですから。

 

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意識に先立って ― ニサルガダッタ・マハラジとの対話

 極論を言ってしまうと、エゴに基づいた発言は必ず何かが間違っていて、エゴがない状態、もしくは、エゴが完全になくなった「覚者」の言葉には嘘偽りがないため、基準に出来ます。

 

 というわけで、覚者「ニサルガダッタ・マハラジ」の新刊が出ました。

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意識に先立って ― ニサルガダッタ・マハラジとの対話

 

 彼はずば抜けて頭がよく、否定しても否定しても否定しても否定しても、それでもなお残ったものは何か?というプロセスで、この世界の虚構を見抜き、真我に達しました。

 

 「I Amness」を「私は在る」と訳していますが、私が思うに「わ」一文字のほうが適切ではないかと。日本語では「わ」は私、我など、私が在ることを指すので、日本人には「わ」一文字のほうが感覚的に理解されやすいかと思うのです。(追記。古代日本のこと、倭国(わこく)というのと同じ理由。)

 

 それはさておき、この対話内容からさとりきねしに組み込めないか、精読してみます。

 

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苦痛子 - 吸引力の変わらないただ一つのエゴ

 人間が他の動物と違う点は、「苦痛」を感じる生き物だということです。

 

 痛みは、動物でも植物でもほかの生物でもあります。しかし、「苦」というのは人間特有のあり方です。そういえば、昔のえらいインド人が「一切皆苦」と言ってましたね。

 

 人間の器というのは、この苦をどれだけ受け止められるか、という個人のエネルギー量に依存します。このキャパシティーを越えた苦の量が集まってしまうと、壊れます。具体的には、エーテル体からコスモス体まで、高次の身体が影響を受けます。

 

 この苦痛を集めるエゴのキーワードは「私は正しい(私が正義だ)」です。他が全部間違っている、周り皆敵だ、という傲慢なエゴは、ダイソン並みの吸引力を発揮します。

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 さてさてこの苦痛、まぎれもなく物質です。高次元のものでも精神世界のものでもありません。プランク定数以下の光(光子)の振動より小さなエネルギーです。あえて、物理学的に表現するならば「苦痛子」でしょうか。

 

テーマ「苦痛子」(コスモス体、コーザル体、メンタル体、アストラル体エーテル体)

 

 これ、とあるテーマと修正する身体がほぼ同じです。それは「自殺」(メンタル体、アストラル体、コーザル体、コスモス体)です。苦痛が溜まり過ぎると死にたくなることに何の不思議もなかったのです。

 

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ヒーリングはじめました

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 旧暦の新年が2/16、この日以降いつ正式開業しようか悩んでいました。施術のあり方から、場所、メニュー、事務手続き、自分のエネルギーの調整などなど。

 

 ですが、ここ数日数件問い合わせが続き、身内や知人以外にいよいよセッションしないといけない模様。そろそろやるべし!というのは来ていたので、正式にオープンいたします。

 

 メニュー等は下記リンク先のページをご参照ください。

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「不死」を治す

 無限の本質、P151から。

 

 人間はいずれ死ぬ存在だ。呪術師たちは固く信じている。われわれの世界と、そこでわれわれがすることとを理解する唯一の方法は、自分たちが死にゆく存在であることを完全に受け入れることだ、とな。これを根本的に受けいれないかぎり、われわれの生活も、行為も、そしてわれわれが住んでいる世界も、いっこうに手に負えるものとはならん。しかし、ただ受け入れるだけでは目的を達成したことにはならん。受け入れたことを行動で示し、それを守り通さねばならんのだ。どの時代の呪術師も、自分の死についての考えこそが、このよでもっとも真摯な考えなのだと言っている。

 

 われわれ人間の過ちは、しかも太古以来ずっとつづいてきた過ちは、多くの言葉で語られることはなかったが、自分たちが不死の領域に歩み行ったと信じていることだ。われわれは、決して死ぬことがないようにふるまっている。子供じみた傲慢というほかない。だが、この不死の感覚よりもさらに有害なのは、それと一緒に生じるもの、すなわち、この想像を絶する宇宙をわれわれの精神で包含できるという感覚なのだ。

 

 機械は、人間が避けられない約束を直視するのに手を貸すことはできん。その約束とは、無限との約束のことだ。

 

テーマ「不死を治す」(コーザル体、メンタル体、肉体、5右の領域、5左の領域、6右の領域、6左の領域)

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 若い頃に葉隠を読んだこともありますしメメント・モリも知っていますが、当時はどう考えればいいかわからずじまい。「非情」や「果敢ない」といったあり方の基礎に在るのが、自分の死だと。これ、重要なのでヒーリングの最初のチェックリストに入れます。

 

 「全てを理解できる」「宇宙の全てを征服できる」という人類の幼い万能感は、死なない人間の無限に対する間違った表現なのです。無限に時間が在るから価値のないつまらないことばかりに力を注ぎ、死ぬ間際に後悔するのでしょう。

 

 このテーマ、退屈と修正方法が似ています。「不死者」の軽いものとして「退屈」が在るというのは非常に興味深いです。

 

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薬は死ぬ覚悟を持ってのむべし

 39度の熱が出て、寝込み中。

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 アレルギーをこじらせたために処方された薬をのみたくなく。地元の漢方専門店へ行き、小青竜湯と小柴胡湯をいただきました。

 

 薬について調査。

 

漢方薬 - Wikipedia

 東洋の薬に対する価値観は神農本草経で示されており、以下の分類に従えば西洋薬は『下品』に相当し、西洋医学では『上品』『中品』は薬とされていない。

上品 作用が例え弱くとも副作用の無い薬
中品 少量または短期間だけなら作用はあっても毒性の無い薬
下品 病気を治す力は強いがしばしば副作用を伴う薬

 

  この分類で見た場合、効く身体が違うというのがわかりました。

上品 メンタル体
中品 アストラル体
下品 肉体

 

 「薬」には特徴があって、本人が問題の解決を望まない時、その薬が効きません。特に上品、中品では。これは、ヒーリングと完全に同じです。

 

 下品は二重盲検法(プラセボ)で分かる通り、強制力のある効き方をします。暴力的や支配的とも言えます。その存在が強烈なため、日常的に関わるようなものではないようです。悟り人で常時薬をのんでいるなんて話聞いたことありません。そうでなくとも、せめて一般的な人間としての尊厳が在るならどんな薬とでも縁を切るべきです。もしくは、死んでもいいくらいの気概で薬をのむか。

 

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呪術師の呼吸法2

 無限の本質にも反復について書かれていました。P181から。

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  呪術師たちの前提に、何かを持ち込むには、それを入れるだけの空間がなければならないというのがある。お前が日常生活のあれやこれやでいっぱいになっていたら、新しいものを入れる余地はなかろう。その空間をこしらえてやる必要がある。昔の呪術師たちは、人生を反復することによってその空間をつくることができると信じていた。実際、そのとおりなのだ。しかも反復には、それ以上の効果がある。

 

 呪術師が反復を行うやり方は、じつに形式ばったものだ。それは、彼らが出会った人々を網羅する一覧表を作成することから成っている。一覧表の作成にあたっては、現在から始めて、人生の出発点までさかのぼる。一覧表ができあがったら、そのなかの最初の人物を取り上げて、その人物にまつわることを全部思い出す。文字通り、全部を仔細に思い出すのだ。現在から過去へと反復するのがよい。なぜなら、現在の記憶は鮮明だからな。そういうやり方をすることにより、思い出す能力に磨きがかかる。

 

 実践者がやるのは想起と呼吸だ。まずはゆっくりと慎重に息を吸うが、そのあいだ、頭を左右に揺すっている。それとわからぬほどかすかにだぞ。それから同じようなしかたで息を吐く。呼気と吸気はあくまで自然にしなければならないと、ドン・ファンは言った。

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 さてさて、本題。呪術師の飛翔の初期に出てくる日課にすべき呼吸法その2です。P72から。

 

「この呼吸法は、服なんていう、圧迫するものは脱いでやったほうがいいんだけど。」クララが始めた。

 

「まずは深呼吸をしてちょうだい。あたかもヴァギナから呼吸しているように、息を取り込むのよ。お腹を引っ込めて、背骨に沿って息を引き上げて。腎臓を通って、肩甲骨の間まで引き上げたら、そこで一瞬息を止める。そこから更に後頭部まで息を持ち上げて、頭のてっぺんを回して眉間にまで持ってくる。」

 眉間で再び息を一瞬止めた後、鼻から息を吐きながら、心の中で息を体の前面に沿って下ろすように、とクララが言った。まずはへその下のツボまで下ろし、それからこの呼吸の起点であるヴァギナに下ろすのだ。

 

 このような方法で息を巡らすと、非貫通のシールドが作られて、外部からの破壊的な影響が体のエネルギーフィールドを通過するのを防いでくれるのだ。クララが言った。また内部の生命エネルギーが、外部に消失してしまうのも防いでくれる。呼気も吸気も音を立ててはいけない、とクララが強調した。そして初めのうちは、クッションや椅子に座って行うのがやさしいだろうが、この呼吸法は、立っても座っても、はたまたよこになって行っても構わない。
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 気功でいう小周天とほぼ同じエネルギーワークです。眉間で止めるか、鼻下で止めるかの違いはありますが。

 

 督脈のメタファーは「不要なもの」、任脈は「手放す」で、「自分の本当に必要なものだけ残す。」そして、このワークで強くなる身体は「イーシュヴァラ体。」つまり、継続することで「意志」が強くなります。そりゃ、意志が強い人間から盗むのは至難の業です。

 

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