さとりきねしブログ

当サロンは、キネシオロジーによる多層多次元の身体への癒やしを提供します。

親の役割

 父の日だからというわけではないのですけど、親の役割について調査しました。前提条件を一つづつ確認です。

 

 

・そもそも、両親は「男女」のペアである必要がある。

・性別の定義は、肉体だけでなく全ての身体にある。正中線から見てその属性が右側に多くあると男性、左側にあると女性。生まれて死ぬまでこの男性度女性度の割合が変わることはまずない。

・極端に男らしいから男性度が高い、女らしいから女性度が高いわけでもない。性エネルギーの多い少ないとも関係ない。

・男女のカップルで子どもができない場合、この定義の「同性」であるケースがある。

 これは、後日もう少し調査したほうが良いかもしれませんね。

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 さて、本題。親の役割とは「愚かさと距離を置くことを子どもに示すこと」です。父はそれを意志(イーシュヴァラ体)で表し、右の身体を育てるように導きます。人間の個々が持つカルマや欲望に負けぬよう、そして、正しく観る(正しく認識する)ことができるように、意志を持つことを伝えます。

 

 母はそれを感情(アストラル体)で表し、左の身体を育てるように導きます。感情の役割は「調整」です。自分や他人や世界、エゴや欲望などと調整できるようなすこやかな感情を育てます。そして、あらゆる経験を穏やかに吸収できるようになります。

 

 自分の親が毒親だった、自分がダメな親なのではと落ち込んだりする必要はありません。ほとんどの人間がこのようなことはできていないので、現実に両親がいても我々は「孤児」なのです。自分一人で傷つき苦しみながら頑張って育って生きているのです。

 

 この地上で生きていると、食事を与えたり、しつけたり、教育を施したりすることだけが子育てだと思ってしまいますが、両親が十全だと子どもが覚醒するところまである、という可能性を見て取ることができます。

 

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キネシオロジーはどの身体を使っているか

 たまに質問があるので、「キネシオロジーで判定すること」について調査してみました。

 

 

 普通の人間の物事に対する判断基準は「思考と感情」です。いわゆるメンタル体とアストラル体を使い、エゴのフィルターを通して世界とつながっています。そのため、しばしば判断を間違えます。エゴの欲求や恐怖、カルマからくる変な視点、誰のかわからない意見など、変な方向に行きがちです。エゴが薄くなれば気づきという形で間違いが減るのですけど、そこまで持っていくのがまた一苦労というか、一修行必要なくらい。

 

 そこで、キネシオロジーを利用しています。筋肉の強い弱いという反応で肉体に必要なものがわかる、というのが出発点でしたが、筋肉のOn/OffがYes/Noに対応できると臨床から分かりました。それを発展させたところ、特定の数値に反応するということも可能で、問題に番号をつけてどれが最重要か判定したり、パーセンテージを調べたりと、いろいろな面で使えることが分かりました。問題特定の精度が高く、思いがけないものが原因として出てきたり、情報や修正方法を探すのにも大変重宝しています。

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 さて、ここから本題。キネシオロジーで使っている身体はどこか?という調査したところ「正中線体」とでました。人間は右の身体と左の身体の2人で構成されていると呪術師は語っていますが、そのセンターです。古代中国人はそれを中庸と表現しました。中庸は∞の中心部分で、プラスとマイナスの0に当たります。そのため、悟っていない身でも、一時的に悟りの状態に近い答えを引き出すことができます。

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 ただ、扱いが難しいと言うか。この中庸自体はエゴを減らす、つまり、地球や宇宙の実相と同調する有り様なので、ヒーリングだったり真理を探求したいには向いています。

 

 エゴを増やす方向の質問の扱いをどうするかです。例えば、どの馬券を買えば当たるかとか、どうすれば好きな人と結婚できるかとか判定は可能です。占いみたいな使い方ができないわけではないです。ただ、悟りのエネルギーで悟りを汚すような行為なので、カルマを積む可能性は高いですね。また、何かが欲しいという気持ちは中庸をぶれさせます。

 

 

 正中線体はきちんと育てるべき身体の一つです。どんな質問にも誠実に答えてくれますし、「そこにエゴがありますよ」と全然違う答えを出すことがあります。また、精妙で高次元な質問に対しても、より静止した状態が作れれば正確に答えが出ます。正中線体は、人間の可能性そのものなのです。

 

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ある/苦痛な - 存在のバロメーターの3層

 ある悟り人は「私はある」(これは「在る」と「有る」両方の意味を持って成り立つ。)と言い、別の悟り人は「一切皆苦」と説きましたが、どちらも存在のバロメーター3層に言葉が有りました。

 

ある

1 意志がある 2 観る
3 注意する 4 洞察する
5 ある(有る) 6 正しい
7 いる 8 無限の

 

苦痛な

1 虚無な 2 怯える
3 怖い 4 間違えた
5 痛い、醜い 6 憎い
7 苦しい 8 全て失った

 

 「ある/いる」の感情的対義語が「苦しい」や「痛い」に対応しています。この層に出てくる言葉は、観ることと観ることに対する恐怖、永遠と永遠に対する恐怖(虚無)、正しいと間違えた、など。

 

 自覚があり意志があれば、見守ること観ることができます。

そうすれば、静かになり責任を持つことができるので注意をむけて、洞察する事ができます。

形あることを捉えることができるなら、それは正しいのです。

そうするといることができて、無限と永遠を感じます。

 それは、有ると感じます。有るものに対して、興味を持ちと同格でありと選ぶ事ができます。

 

 ないということに対し恐ろしさ、虚無を感じると、怯えます。それはとてもうるさいものです。

怖いという感情は、何かを間違えた、違うと感じます。

それは痛く醜い(=見難い)もので、憎く感じます。

それは苦しく、失くしてしまった全て失ったと感じます。

 それは、苦痛です。苦痛は恨みであり、悲痛と罪の意識であり、選べないと感じています。

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 無限や永遠は有るものです。それを意志を持って洞察すれば、正しさにたどり着きます。無限を恐れると虚無が発生し、それを恐れる感情は間違っているのです。バーナデット・ロバーツは、エゴの核心は「自己投影機能」と「絶対無への恐れの感情」と喝破しています。存在は無を恐れるとき、苦痛を発生させるのです。

 

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マルクスにすがらない生き方

 カール・マルクス生誕200周年ということで世界的にブームになっているようですが、そんなものにすがらずに強く生きていきましょう。

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 「神は死んだ」と昔の偉い人は言いましたが、神と聖書を捨てマルクス資本論に鞍替えした人たちは、150年と経たずにマルクス神が死ぬとは思わなかったことでしょう。そろそろ、FGOに英霊として登場しないでしょうか。女性化しなくていいですけど。

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 資本論経世済民理論の一つにすぎません。この時期、世界各地で新しい理論が花咲きましたが(安藤昌益など)、マルクスだけが残りました。それは経済理論が優れていたわけではなく、ひとえに暴力革命を肯定したからです。荒霊を許したという点で私の中ではマルクス尾崎豊は等価値だったりします。言うまでもなくマルクスフリーメイソンに愛されました。「ブルジョアジーである自分を倒せ」という主張は「滅びたい」というエゴと同通するからです。

 

 以前、しくじり先生でマルクスを取り上げていましたが、彼の最大のしくじりは「生命は平等である」という点を見過ごしたことです。プロレタリアートブルジョアジーも同じ生命なのです。仏教をかじった事があればこんな初歩的なミスはしなかったのではと思います。

 

 共産主義の本当の成功とは、利益や意見の違う人たちと地味に気長く対話をし、妥協点を詰めていくかにあります。それは、競争や搾取(資本主義)とは違う社会の有り様ができたはずですが、まぁそこまで至らず。こういうのはポリネシアのような狭い島社会だと割と簡単なのですけど、純粋大陸国家のソ連とか中国だと抑圧や虐殺になってしまうのです。忍耐力がないからね、仕方ないね。

 

 生命の平等はお金の平等に、隣人への愛は暴力に。これらが新しい宗教になり世界中の人達に広まっていったということが末法極まっていると言えます。分割自我も限界に達し、肉体以外の身体を認識できなくなっているのがちょうどこの頃からなのも、原因の一つかもしれません。

 

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落ち着いた/手に入らない - 存在のバロメーターの2層

 我々はなんでそんなに欲深なのでしょうか。分離感を感じているから欲しいと思うのでなく、手に入らないから分離感を感じているのかもしれません。

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落ち着いた

1 ある(在る) 2 落ち着いた
3 覚悟した 4 気づく
5 我慢強い 6 死なない
7 潔い 8 久しい

 

手に入らない

1 もったいない 2 空虚な
3 つらい 4 欲しくてたまらない
5 煙たい 6 虚しくなる
7 時間がない 8 手に入らない

 

 存在のバロメーターの2層は「落ち着いた」と「手に入らない」が感情的な反意語になっています。

 

 在る状態では、落ち着き心地よいです。

そうすると覚悟ができて、気づきが生まれます。

我慢強くなり、少々のことでは死なないと感じます。

潔いと、長い時間が自分のものだと感じます。

 これらは、落ち着いたと感じます。手に入ったものは、意欲であり、確信であり、ひとつであることです。

 

 十分に活かしきれずに無駄にしてしまったと感じたことから、空虚感が執着を引き起こします。

それは無意味で孤独でつらく、欲しくてたまらなく感じます。

その都合の悪い気持ちは煙たく、虚しくなります。存在がなくなります。

時間がないという焦りは、欲しいものが手に入らない気持ちになります。

 これらは、手に入らないと感じます。怒りと失う恐怖と分離感を感じています。

 

 欲しいという気持ちは存在を失ったという喪失感から発生し、落ち着きを失わせます。つまり、何かを手に入れるためには、落ち着く必要があるということを示唆しています。

 

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ありがたい/苦い - 存在のバロメーター1層目

 ニサルガは「存在」について語っていますが、それはすなわち存在を表現する言葉を我々が持っているということです。

 

「私は在るという性質」はサトウキビのような甘さのようなものであり、自分の存在の甘さの中に留まっていなさい。

 

 思考のレベルで捉えると何を言っているかちんぷんかんぷんですが、存在のバロメーターの1層目にヒントがありました。

 

ありがたい

1 優れた 2 強い
3 有り難い 4 美味しい
5 甘露な 6 望みがある
7 良い 8 進歩した


苦い

1 悪い 2 病んだ
3 壊れた 4 まずい
5 苦い ビターな 6 劣った
7 ありえない 8 絶望した


 この項目には特徴的な言葉が3種類あります。それは、優劣に関する言葉、味に関する言葉、進退に関する言葉です。大項目「ありがたい」の感情的な反意後は「苦い」です。ありがたい人生やありがたい言葉の反意語が、苦い人生や苦い言葉なのです。

 

 内面が優れたものは、外面で強さを持ちます。

それは、有り難いもので、美味しいと感じます。

甘さを感じるものには望みがあります。(=存在のエネルギーが満ちている。)

それは良いものであり、進む、広がるといった、進歩を感じます。

 これらは、ありがたいものです。それは受け入れることであり、喜びに満ちた感情であり、調和と同調です。

 

 内面が悪いものは、外面では弱くなり病みます。

迷惑にも壊れたものはまずいと感じます。もし、自分がまずい場合は死にたいと感じます。

それは苦味があり、他のものと比べて劣っていると感じます。先が見えません。

先が見えないがゆえ先がなくなり、ありえないと感じ、停滞し絶望します。

 これらは、苦いものです。反感と敵意と麻痺を感じています。

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 アムリタのようなある種の甘露は存在のエネルギーで満たされているのだと思います。美味しいという感覚をただ食べ物に関するものだと思うと人生は限定的にしかならないかもしれませんが、ありとあらゆるものが美味しいか苦いかと考えることは存在を広げるキーワードになるかもしれません。

 

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否二元 (nay-duality)

 以前、ノンデュアリティはなんかおかしいというブログを書きましたが、そもそもの二元論とは何かを。

 

 「われ(我れ)」があって「あれ(宇宙)」があるのが、二元です。視点の位置は当然我れにあり、内と外の対応になります。外の世界から手に入れ、不要なものを外の世界に手放す仕組みに巻き込まれます。 エゴは「欲しい」と「手に入った」の単純な反応を繰り返します。そのための戦いがいつまでも終わりません。

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 また、自分と他人という分離をし、我れを外の宇宙にプロジェクターのように投影します。分離しているがゆえに自他の分離が難しく、車輪の右と左のように分けがたくなります。

 

 「悟りとは非二元」であるとアドヴァイタやノンデュアリティでは定義していますが二元ではないとはどういうことでしょうか?それは俯瞰的視点に移行し、三元目の視点になったのです。それならば、トライプリティ(triplity)と表現するのが正解かと。三元的視点になると「われ」と「あれ」を同時に見れる第三者になるので、そこの依存性から離れられます。というか、離れられるだけのエネルギーが在るから二重性から脱却できたというのが正順。

 

 ちなみに、この時点ではまだ「小悟」です。この三元もまた俯瞰が可能で、四元(中悟)、五元(大悟)と視点の場所を移動していくことができます。さとりきねしとの対応はこんな塩梅。

 

三元性=4次元

四元性=5次元

五元性=6次元

 

 ノンデュアリティがもし特定の悟りの領域に達しているなら、それは、トライプリティやクアドルプリティ(quadruplity)やクインタプリティ(quintuplity)などの名称を取るべきでしょう。

 

 そして、「私は存在しない」というならそれはノンデュアリティではなく、ノン-クアドルプリティになるはずです。ですが、実際は二元を否定しているだけの状態なので「否二元 (nay-duality)」が名称としては限りなく近いかと。

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 三元的視点になるとエゴから離れることができます。しかし、エゴが力を持たなくなるだけで、消えるわけではありません。六元的視点になると「存在」から離れることができますが、それもまた消えるわけではないのです。まず、この辺にエラーがあります。また、7次元(六元)まで達すると地球上で一個人の肉体をまず維持できません。突っ込みどころが多すぎです。

 

 悟り人は「二元にとらわれるな」と語りましたが、そこに執着(対象化)すると「非二元」という妄想世界ができあがるといういい例かもしれません。

 

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