ニサルガは「存在」について語っていますが、それはすなわち存在を表現する言葉を我々が持っているということです。
「私は在るという性質」はサトウキビのような甘さのようなものであり、自分の存在の甘さの中に留まっていなさい。
思考のレベルで捉えると何を言っているかちんぷんかんぷんですが、存在のバロメーターの1層目にヒントがありました。
ありがたい
1 優れた 2 強い
3 有り難い 4 美味しい
5 甘露な 6 望みがある
7 良い 8 進歩した
苦い
1 悪い 2 病んだ
3 壊れた 4 まずい
5 苦い ビターな 6 劣った
7 ありえない 8 絶望した
この項目には特徴的な言葉が3種類あります。それは、優劣に関する言葉、味に関する言葉、進退に関する言葉です。大項目「ありがたい」の感情的な反意後は「苦い」です。ありがたい人生やありがたい言葉の反意語が、苦い人生や苦い言葉なのです。
内面が優れたものは、外面で強さを持ちます。
それは、有り難いもので、美味しいと感じます。
甘さを感じるものには望みがあります。(=存在のエネルギーが満ちている。)
それは良いものであり、進む、広がるといった、進歩を感じます。
これらは、ありがたいものです。それは受け入れることであり、喜びに満ちた感情であり、調和と同調です。
内面が悪いものは、外面では弱くなり病みます。
迷惑にも壊れたものはまずいと感じます。もし、自分がまずい場合は死にたいと感じます。
それは苦味があり、他のものと比べて劣っていると感じます。先が見えません。
先が見えないがゆえ先がなくなり、ありえないと感じ、停滞し絶望します。
これらは、苦いものです。反感と敵意と麻痺を感じています。
アムリタのようなある種の甘露は存在のエネルギーで満たされているのだと思います。美味しいという感覚をただ食べ物に関するものだと思うと人生は限定的にしかならないかもしれませんが、ありとあらゆるものが美味しいか苦いかと考えることは存在を広げるキーワードになるかもしれません。