本質的エネルギーが不足する人間の特徴として、「認知が歪む」という病理を発症します。例えば、他人が成功する=劣等感を感じる、被害者意識を感じるなど「隣の芝生は青い」というのは、典型的な認知障害ですね。だって同じ青さなのですから。「自分がやればロマンス、他人がやれば不倫」や「他人の万引きは凶悪な強盗だが、仲間達の万引きは良い万引き」みたいな内容をブログやツイッターだけでなく、新聞やニュースでもよく見かける、全くもって世も末です。
思い込みの強い人間は人類のおよそ7割で、4割は病的なレベルです。多少マシな人でも、ほとんど妄想で感じ妄想で考え妄想で行動し、自由を楽しんでいると錯覚しています。
さて、本題です。
・自由にやりたいことをやる
・自由にやりたくないことを断る
自由の本質は、何かを払うこと(=やりたいこと)より、何かを受け取らず払わないこと(=やらないこと)に現れやすいといえます。
自由への真摯度を測る方法として、例えば、
・遺伝子組み換えや殺虫剤や除草剤まみれの食材を完全に拒否できるか?
・東京電力が許せないと思うなら、電気使用を完全に拒否できるか?
・親の支配が嫌なら、お金や意見を全部拒否できるか?
・法人税、所得税、消費税、固定資産税、年金健康保険、NHK受信料など、税を一切払わずに拒否できるか?(今の日本の実質の税率が何公何民になってるか計算してみると、状況の悪さが見えます。)
原発反対なら、原発反対派に一票を入れることが自由ではなく、原発で発電した一切の電気を拒否しなくてはなりません。それが認知が歪んでいない正常な状態で、それがほんとうの自由です。親に食べさせてもらいながら、親の批判をしていいのは中学生までです。原発の電気で印刷した新聞やポスターに何の価値もないのです。
意思や意図なくして自由はありません。また、根源的恐怖の一種、分離感と向き合うことになるので、易しい道でもないのです。
プロトコル「自由に断る」(元ダマレベル)
構造機能の自動的回避のタイプも判定。
Aタイプ「私は本性として、ストレスのもとでは要求を聞き入れがちです。」
Cタイプ「私は本性として、ストレスのもとでは要求を拒みがちです。」