> 罪悪感に依存してるって解釈が難しくて… (・_・;
> 依存なので それ無しでは生きられない っていうことですかね?
女性に特に多いパターンなのですけど、
「何をしても何を選択しても、何か常に間違っている、罪を犯している感じがつきまとう」みたいな、ところでとどまってしまうことがあります。
感情の座から、
[受け入れる/反感]
[喜びに満ちた/敵意]
[調和 同調/麻痺]
[ありがたい/苦い]
どちらかというと、男性は麻痺しがちですし。
[興味/恨み]
[同格/悲痛と罪の意識]
[選ぶ/選べない]
[ある/苦痛な]
女性は、この罪悪感と選べないが固着してしまうことが多いです。結果、恨みだけが残ります。(これは、スリーインワンで学びました。感情のバロメーターは偉大。)
依存はですね、ただ単に、
「その存在のエネルギーの影響を受ける。」
だけです。
私は五井先生に全託、依存しているので、五井先生やアルデバランの影響を受けます。また、地球に依存しているので、太陽 - 地球のエネルギーを必ず受けます。
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h-45.全託
自分の信じる存在に全托すれば、その存在の意図に殉じることになる。
全托の仕方に多少問題があってはダメ。
「この存在が死になさいといったら私は死ねるだろうか。」というあたりが境界線。
人は人に全托することは出来ない。それが出来ればそれはそれですごいことですが、中々そういう人物はおられないでしょう。
上の方たちはいい方向に導こうとしているのに、私たちは何も知らず勝手に「ああもしたい」「こうもしたい」と勝手なエゴの判断でどんどん間違った方向、つらい道筋を選択してしまっている。一度そういうエゴのえり好みを捨てて、すべてをお任せしてしまえばいいのだが。ただエネルギーがないと中々そこまでは出来ないというのが難しいところ。
e-85.全託できるのは
「あなたが思っている分」だけです。全托出来ないのはエゴがそれを阻止するからです。
ヒーリングは「自分が癒すんだ」ということではなく、そこでこそ「五井先生お願いします」と全托してしまえばいいのです。
s-10.解脱3種類
人類の今回の文明(約12,000年前~)における基本的な教えのすべては、仏陀によってもたらされています。あのニサルガの実存に至った覚醒さえも、仏陀の教えの中に包含されていました。その教えのすべてをマスターし、人々に正確に伝えることができた人物は一人としていなかったのです。
そこで仏陀亡き後、弟子たちは結集して各々の得意分野だけを後世の人々に伝えていくことにしたのです。それがのちの仏教の各宗派となっていますが、あらゆる宗教、精神世界は大きく分けますと以下の3つになります。
1.カルマをクリアする。
人間を守護する諸天善神(守護霊や守護神も含む)にその身を全託し、その加護と恩寵によりカルマ・エゴを軽くし天命を全うする。
イエスや法然などが説いた祈りの教え。
(2、3略。)
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> 人とか行動なら分かるんですけど
> たしかに… 月闇さんのことは「 お母さん 」のように思っていました
> それがいけなかったんですよね…
>
> 自分のこともよく分からないですし 何が正しいのか…
> 間違ってたら月闇さんに正してもらう と思っていました
私に依存しても構わないと思います。
なのですが、私が覚醒しているわけでもないので、エゴ的な間違いをすることもあります。なので、依存しすぎると一緒に溺れる可能性があるというか(^-^;。変なことを言っていないかを見極める眼と冷静さは、依存するとしても求められます。
それを踏まえて上で、私を補助輪として使ってください(^-^。補助輪要らないくらいバランス取れるようになったら、それを外したほうが速く走れます。
私が代わりにお金稼いだり、物事を決定したりすると、○○さまの人生に干渉しすぎになってしまうような。他人だったらおかしいって分かりますけど、家族だとこの干渉が当たり前だと思ったりすることも多く。目安は子育ての時期を越えたら、お金や決定権的に対等になってないと何かがおかしいと見ていいです。
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e-69.お互い助け合うな、決して依存するなとはいいませんが、そこに執着することは違う
電車に乗った時、車両にイスが必要そうな人が乗ってきたら何もいわずに立って他の車両に移動します。その人が私がいた席に座ろうが他の人が座ってしまおうが気にしません。必要ならそのおばあさんは空いた席に座るでしょうし、必要なければ立ったままです。
しかし、わざわざ「お婆さんどうぞお座りください」と声をかけても、別に座りたくはないという方もおられます。また座ってくれても、その前の手すりにつかまってずっと立っているのもおかしなものです。
組織を離れる時も同じです。黙って跡を濁さず去るのです。残した人がどう思うか…それは残された人の思いではなく、あなたの思いなのです
e-97.質問への依存
皆さんの本来自分で考えるべきことをこちらで明かしてしまうと、そのせっかくの学びが「依存」の方に傾いていってしまったのも事実。現状、必要性がない限りそうした類の質問にはお答えしないという方針が主流に。
ex-21.天皇というものに持つ日本人としての余計な依存心を解消していくこと
古代日本における神々というのはほとんど普通の人間で、卑弥呼と聖徳太子などが少し神がかった存在。特に天皇の系譜はドロドロの人間模様を展開。古代の天皇の系譜は、海外から渡海してきた人々が出雲から始めている。日本人はすべて外人。
日本人としての余計な依存心を解消していくことも求められている。
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> 私 依存 っていう言葉を聞くのがものすごく辛いです
> 責められてるようにしか聞こえない
> 甘えるな!って
> 存在したらいけない って言われてるみたいです
> 今の私に「 依存せずに生きろ 」って
> 「 死ね 」って言われてるのと同じ様に思えます
>
> 依存しちゃいけないと思ってずっと生きてきたんです
> でも依存、依存ってよく言われたり 私に言われてなくてもそうじゃないみたいで
> どうしようもできないのに どうすれば良いのか!?
>
> だから、もっと頑張らなきゃ って生きてきたんです
> だから… 依存してるって言われるのがすごく嫌なんです
> どうすればいいのか分からないです
>
> 私に依存って言ってたのは 逆に私に依存してエネルギー吸ってた人たちばかりです
> 依存なんてしたくない
> でも自立って何ですか?
> 本当に誰の力も借りず生きてる人なんていますか?
ヒーリングテーマとして非常にいいものが浮かび上がりましたね。点数調べたら15点が多発しそう(^-^。
依存と自立はバランスですね。陰陽の世界のエネルギーの極です。
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e-8.元々エゴがない状態を覚醒とは言わない
人間は幼少時からの「エゴの育成」という作業がないと、自意識(アイデンティティ)が育ちません。「甘える」「包まれる」「存在を認められる」「愛されていると感じる」という幼少期の基本的なエゴの育成、その後の家庭内や学校内での周りとの関係性からのエゴの育成、そして社会に出てからのエゴの育成。ここを一般的にはエゴといっていますが、本来はそこまでのものも含めてすべてエゴです。段階を追って成長していきます。
ですから、人の歴史とはほぼエゴの歴史といっても差し支えない。
e-10.エゴを洗練させる
エゴは人間にとって必要欠くべからざるもの。
1.自分以外のもの(他人や木や雲など)を識別する。幼い頃にエゴを生み出すための作業。
2.識別したものと共存できるようにする。大人になって、分離した世界で生き抜くためのエクササイズ。
この二つが人間のエゴにとっての大きな使命です。2の中で出来る限り自分(エゴ)の目的にかなった生き方を探るのが「洗練されたエゴ。」
そこでどこまで本心を出していけるかが、本当の洗練された「エゴ」になります。
「混沌としていないエゴ」はいわば整然としたエゴです。それは濃いエゴでも、薄いエゴでもありません。ただ、整然としたエゴで、あなたの方向性ややりたい事、やるべき事を明確に示唆するものになっています。そうなって初めてあなたは人生で意味のある生き方を学ぶことが出来るのです。
その上でその「洗練されたエゴ」すらも薄くしていく作業が覚醒への道程になります。
e-31.クズの定義「自分達だけではどうにもならない魂」
e-38.一人で生きていく
もっとも基本的、最も根本的に大切なお仕事は「炊事・洗濯・掃除」。自分はいつでも料理くらいは一人で手際よくできるという力は持っているべき。そこを飛ばして他の仕事はあり得ない、自分のことは自分でやる・・その上で他の身近な人たちのこともフォローする。出来なければ、その先のお仕事は決してできない。
何も奥様がおられるのにご自分で料理をすることはない。しかし、自分が本来やるべきことをして頂いている感謝は、奥様に捧げて下さい。
一人で生きていくにはそれなりに力が必要で、たゆまぬ修練と果てしのない学びが要求される。本当に他の人のフォローが出来るのは、この「一人で生きている」方だけ。「孤独に生きている」人たちは、その寂しさを紛らわすため「人のため」という欺瞞で補おうとする。その寂しさは「自分に頼ることが出来ない」という根源から来ている。そこに気づくまで人は輪廻を重ねることになる。
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[興味/恨み]
気持ちを理解する/認めてもらえない
[同格/悲痛と罪の意識]
☆頼れる/自分を罰する
[選ぶ/選べない]
選ぶ/選べない
[ある/苦痛な]
ある(有る)/痛い、醜い
さとりきねし的には、自分に対して頼ることが出来ると、自ずと外の全ての存在と対等になれます。
例えば、キリスト教は人は罪の子とエグい洗脳してきますが、それを受け入れてしまうと、自分を罰してしまい、神やキリスト教への依存が始まります。キリスト教に消えしている人は、この深いレベルのこじれをセッションで解放するのが難儀することが多いです。脱出を阻止する罠も多数配置されていますし。
「甘えるな!」って誰の発言でしょうかね?父?母?それとも、上司?「お前は悪い子だ」というのを親や先生が仕込んでくる事が多いです。そうすると、コントロールや支配が簡単になるので、社会で奴隷としてより良く生きていくことが出来ます(^-^;
「ソレダメ! ~あなたの常識は非常識!?」って番組ありますが、このコントロールを利用していますね。非常に吸血鬼らしい発想の番組ですが、今の人類が罪悪感を解消できないのの証左でもあります。
www.tv-tokyo.co.jp 子供の頃の恐れ知らずの時期に、何でも自分で決定できていた時期というのが誰にでもあるはずです。大人になるにつれて、これが消えていく感じ。
> 私にとっては 依存っていう言葉は虐め以外の何者でもないです
なので、内観していただくポイントとしては、
・依存をしてはいけないという法はない。依存の仕組み、その利点欠点を理解する。
・依存したい、という気持ちを認める。
・依存を誰が禁止したか?
・自立や自分を頼るというのを誰がくじいたか?自分の選択を否定したのは誰か?
・自分に刺さっている罪悪感は、本来誰のものか?
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3-15.「壊れた親子関係」
・トラウマのチェックリスト8(エーテル体)
親も同じ感情を味わった、という事実。
毒親の目的は、
「自らが味わった自己否定的な感情を子供に味わわせる。」
「自分が苦痛に感じたのと同じ感情をコピーしてやる」
というトラウマの世代間連鎖。
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これは、親も同じ否定を受けて育ってきているので、根深いです。集合魂由来の可能性も高く。
解放すると、この2つが両立できます。
・依存したいときに、素直に依存できる。
誰かを師事するときや学ぶとき、自分の力では解決できないと分かったときに、自分の我を押さえてそのエネルギーを素直に受け取ることが出来る。
・自分に頼ることも出来る。
頼れる人がいないならいないなりに動ける。過剰に頑張りすぎなくても、自分の決定を信頼できる。