さとりきねしブログ

当サロンは、キネシオロジーによる多層多次元の身体への癒やしを提供します。

眠り、眠気

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 エーテル体は魂魄ともいい、3次元の肉体と5次元のアストラル体やメンタル体やコーザル体を支える「気」です。眠い、眠気というのは、エーテル体が消耗したときに起こります。肉体は疲れているのに目が冴えて寝れない、というのは、エーテル体(気力)が疲労していないからです。稀によく聞く話ですが、全く寝ない人というのは「エーテル体を一切無駄にしていない」のです。

 

 エーテル体がOFFになると、肉体と5次元の身体が擬似的に分離するので、死の状態に近くなります。

tocana.jp

suiminkaigi.jp

 寝ても目が覚めている状態を、カスタネダは「夢見」といいました。これを行うためにはエーテル体の消耗は厳禁です。そして、この時の自分の中心は、感情でも思考でもないコーザル体でなければなりません。

 

 エーテル体を消耗しない方法として、(左脳的な)右の身体の認識を停止することがあります。前回「言葉の支配力からの解放」を扱いましたが、言葉は気力を大変消費します。同様に認識の停止の一環として、ペルソナ(仮面)を止めるの方法があります。自分や他者、あらゆる物体の名前や立場、役割、過去など、本質的に関係がないものを止めることです。

 

 当然、エネルギーコードなど論外です。魔術師のメソッドをよく読むと、だいたいこのようなエネルギーの無駄の破棄に行が集中しています。

 

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言葉の支配力からの解放

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 「言葉もまた一つのエネルギーである」というのはよく知られています。言霊はエーテル体のエネルギーで4次元を中心に3次元から5次元に渡るため、肉体、アストラル体やメンタル体やコーザル体にダイレクトに影響を与えます。

 

 で、人は言葉に簡単に影響を受けます。例えば人を操る方法に「褒める」「叱る」「評価する」がありますが、これは、アストラル体(感情)がコントロールされている状態です。これは、音として表現されない文字でも変わりありません。

 

 エーテル体とアストラル体は隣り合った領域のため、その影響力を遮断するのは非常に困難です。この地球には他人を操りたい支配したいという者があまりに多く、「言論の自由」という謎の権利で言葉(ノイズ)で溢れかえってしまう異常事態になっています。

 

 それを嫌い一人になって言葉を遮断しても、今度は「内的対話」が出てきます。これを止めるのは果てしなく困難です。

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 では、この言葉の影響力から逃れる方法はないのでしょうか?そのキーワードは「意志」にあります。イーシュヴァラ体のエネルギーが十全だと、本来の意志(天命)が最優先にできるので、他人の言葉に惑わされなくなります。

 

テーマ「言葉の支配力からの解放」(イーシュヴァラ体、エーテル体、アストラル体)

 

 ここは、愚かさから卒業できたかのチェックポイントの一つです。言葉自体のエネルギーは荒く、これを使わないコミュニケーションを育てる必要があります。(テレパシー参照)

 

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「人生は死ぬまでの暇潰し」が真理だと思ったら、安全を求めすぎ

 春分の日は強敵でした。家族問題が噴出して、我が家は春の嵐に。

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暇と退屈の倫理学


 暇すぎてエネルギー接収対象がない場合や、何かに接しても情報も感情も摂取できない場合、「退屈」という感情が働きます。この退屈が常態化してしまう(=何をしたらいいのか分からない)というのはあまり良い状態とは言えません。エゴは拡大か縮小しているときは絶対に退屈を感じません。つまり、成長も退化もしていない悪い停滞をしてしまっています。知らないことを知らない(=分かったふりをしている)、新しい知識も冒険もない人生に飽きてしまうとエゴは腐って嫌な臭いを発します。「安全」を重視しすぎるとだいたい腐ります。


 さて、全ての存在(情報や感情、人やモノなど)には常に真実度(コーザル体レベルのエネルギー)が裏打ちされています。それによりそれぞれが認識する世界に違いが生まれ、宇宙に不確定要素というかゆらぎのようなものが発生します。

 

 メンタル体は優しくエゴに安全な情報を特に好みます。しかし、多くの場合それはコーザル体レベルのエネルギーが薄い、狭くローカルな流行や常識に過ぎません。もしくは妄想と同じです。

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「つまらない」がなくなる本

 

テーマ「退屈」(コーザル体、メンタル体、5左の領域、6左の領域)

 前回の生まれ変わりの村の「スープに対する渇望」の生きている時バージョンと言った感じです。

 

 成長が幼い場合、コーザル体ではなくメンタル体が調整の中心になることがあります。

 

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生まれ変わりの村のスープ

 春分前でデトックスがきつめ。ブログ書く気力が微妙なので軽めの内容を。

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生まれ変わりの村1

  森田健さんが中国奥地へ前世を覚えている村人に取材に行きます。死後にスープを飲むと記憶が完全になくなって生まれ変わり、飲まなければ記憶を保ったままこの世界に誕生できるというものです。

 

 いろいろ検証。

1.スープを飲むタイミングは?

 死ぬ→(地獄など)→5次元の元ダマに回収される→[スープ飲む]→生まれる。

 

2.「無性に喉が渇き、飲まずにいられない」という渇望は、どのレベルで起こっているか?

 コーザル体。真実に飢えている状態。ある程度の真実に対する受容性があれば、飲まなくても耐えられる。

 

3.スープの正体は?

 自我(エゴ)を溶かす薬。記憶がなくなるのは当たり前。

 

 うーん、どうもこの情報自体が進化や覚醒につながる秘教に属するらしく、正しく取るのが大変難しいです。本来は「自由という境遇」に達しないと公開してはいけない模様。一般書籍で販売済みなので、いまさら隠すも何もあったものではないですが。これは森田氏のエゴでカルマになると出ています。(補足:2008年発表だが2017年まで待てば公開に問題がなかった。)

 

「死後にスープを飲まなければ、エゴを維持できる。」

というのは、悪用するとエゴが停滞してしまう危険性が強く、進化が止まってしまいます。死んでも記憶を維持している陰始もこの術のことを知っているようです。

 

追伸:ブログ内容ちっとも軽くならなかった_| ̄|◯

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愚かさと距離を置く

「その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな」

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 この世界にはエゴが腐るほどあって、自分のエゴと他人のエゴは感応し合います。ニュースやドラマを見たり、噂話に興じたりと。この時、アストラル体レベルのエネルギー、感情が動きます。特に「自己否定」に過剰反応します。それを他人に投影して自ら外側にコントロールされる状況に嵌っていきます。自分の舵を明け渡してしまうのです。「執着」や「愛着」自体がエゴの境界線を作り、そこから出られなくなります。

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テーマ「愚かさと距離を置く」(アストラル体、イーシュヴァラ体)

意図「エゴと距離を置く」

 自己否定を見つける。構造機能の否定の言葉、回避のエニアグラム、不要な誓いあたりから。


 戦士は管理された愚かさを身につけなくてはなりません。外の問題を過大評価している癖を自覚し、意志(意図)を持ってそれを俯瞰します。自分の愚かさと他人の愚かさを同じ距離感で笑い飛ばすのです。

 

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アレルギーは2種類ある

 花粉症の季節になり、私の周りでも鼻をグシュグシュしている人がちらほら。以前アレルギーについて調べたのですが、それだけだと治らない人がいて追調査したところ、アレルギーは2種類あるということがわかりました。

 

・肉体レベルのアレルギー

 物質と経験の不一致によるアレルギー。減感作が有効。

アストラル体レベルのアレルギー

 感情が原因のアレルギー。物質に付随する感情や共鳴する感情がアレルゲンとなり反応するため、減感作が効きにくい。

 

 また、感情が問題になるケースは3パターンあって、

1.覚悟がない。情に流されやすい。
2.個人のエネルギーが少ない。特に「意志」のエネルギー。
3.感情への執着が強い。

のいずれかか、もしくは複合しています。いずれのケースでも、アストラル体のバリアが弱くなります。

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テーマ「感情のアレルギー」(アストラル体、コーザル体、イーシュヴァラ体、6カルマ)

 

 (イーシュヴァラ体、6カルマ)という組み合わせは、「病気」(コスモス体、ニルヴァーナ体、イーシュヴァラ体、6カルマ)と同じで、この辺が治らない(=慢性的な)病気の基になっていそうです。

 

 自我の量が少ない人間が増えている昨今、2が原因でアトピーやアレルギーが増えているのもあります。

 

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何が多様性なのか

 「多様性(ダイバーシティ)」という言葉だけが人口に膾炙していますが、本当にその人が多様性を求めているか判別できると問いがあります。それは

 『「多様性は不要、いらない」という主張を受け入れられるか?』

  この主張を見て穏やかであるならその人は真の多様性があり、受け入れ難いなら「多様性」と言いたいだけの人です。その主張を受け入れたとしても、この世界から多様性が消えることはないのですから。

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 多様性は単純に「エネルギーの量が多いこと」に過ぎません。エネルギーがないと受け入れ範囲が狭くなります。エネルギーが少ないほど、攻撃や排除を行いがちです。受容というのは、未知や自分に都合の悪いことをどれだけ受けいられれるのか、と問われることなのです。

 

 多様性を主張する新聞や団体の本心は「自分(エゴ)を受け入れて欲しい。」また、「受け入れているつもり」で終わっている自己満足。エネルギーがない人の多様性はほとんど意味もなく価値もなく、混乱と悲痛な失う恐怖以外何も残しません。LGBTロヒンギャ難民も何も残らない(残るものがない)と出ます。

 

 今、ヨーロッパには移民が大量に押し寄せていますが、ヨーロッパが移民を受け入れているのではなく、移民がヨーロッパ(特にドイツ)を受け入れているのです。

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 「愚かさ」や「病気」が73億通りあることが多様性ではありません。それはただのゴミの山です。愚かさと戦う意志の力が多様性のエネルギーであり、その意志の煌めきだけが価値があります。

 

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